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この平地(広場)のところに「ほうじ茶屋」があって、多くの西国巡礼者や旅人をもてなしました。
この茶屋がいつ開業し、いつ店をたたんだかは不明ですが、江戸時代天明6年(1786年)にここを通行した旅人の道中日記には、すでに茶屋があったことが記されています。
また、文化13年(1816年)に、現在の山形県鶴岡市から伊勢神宮と西国三十三カ所巡礼に来た旅人の道中日記に、「曽根。能宿屋あり。これより曽根太郎坂、次郎坂。二十町登り茶屋あり。また少し登り茶屋あり・・・。」と記されていて、この「ほうじ茶屋」のほかに曽根からの登り坂にもう1軒茶屋があったようです。
西国三十三所名所図絵(嘉永元年・1848年)には、「峠に茶屋1軒ありて、俗にホウチ茶屋といふ。是又甫母地茶屋の転語なり・・・」と、茶屋のことが記されています。
明治29年(1896年)に曽根と二木島を結ぶ新道が出来ましたが、この「ほうじ茶屋」はその頃まで続いたとも言われています。 |
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この甫母峠は、現在尾鷲市と熊野市との市境ですが、遠く大化改新(645年)から天正10年(1582年)まで、紀伊と志摩の国境だったところです。曽根太郎・曽根次郎は、曽根の他領・自領の意味で国境ということです。
ここから熊野古道(熊野街道)を西進すると熊野市二木島町に達しますが、南へ下ると熊野市甫母町です。峠の分岐に石室があり、この中に地蔵尊座像が安置されています。この台石には、「願主、京紫野大徳寺地中、禅門浄陀宝暦7年丁丑7月1日」と刻まれています。
京紫野は、言うまでもなく京都の紫野のことです。大徳寺は京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山で、山号を竜宝山といいます。
大徳寺は正中元年(1324年)、妙超の開山によるもので、赤松則村が開基しました。また、後醍醐天皇の祈願所として有名で、千利休や小堀遠州らが山内に庵を建てたので、茶道との縁も深いのです。
この「甫母峠の地蔵」は、おそらくこの熊野古道(熊野街道)を通った多くの巡礼たちの安全を願って建立されたものでしょう。 |
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茶屋跡から緩やかな登りを歩いていくと、自然林が出てきます。ホオノキやウバメガシなどが生えている、きれいな林です。 |
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左手の木々の間からは、天気が良ければ楯ヶ崎を見ることができます。画像中央のとんがっている部分が楯ヶ崎です。(写真でよく見る「海金剛」という切り立った岩は、この崎の向こう側にあります。)
楯ヶ崎には、降り口になる二木島港から遊覧船が出ています(要予約)。一度は行ってみたいところです。 |
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