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左:曽根次郎坂太郎坂の登り口は、かつて曽根南の関所でした。次郎坂太郎坂の名前は、、自領(じりょう)と他領(たりょう)を分ける峠、というところから来ています。
右:江戸時代に関所が廃止された後は、安定寺というお寺が開かれ、そこの和尚さんが享保3年に立てたとされる石碑が残っています。 |
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登り口からしばらく、見事な猪垣が道の左手沿いに続いています。 |
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曽根次郎坂太郎坂は、登り口から見事な石畳道が続いています。がヒノキの人工林の中、急な坂に石畳が敷き詰められています。ここも駕籠が通ったのでしょう、道幅がかなり広くなっています。 |
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曽根次郎坂太郎坂にはいくつか巡礼供養碑があります。それほどキツイ峠道とも思えませんが、何人もの旅人が命を落としているのです。
登り口からほどなくあるのは、文政13年(1830年)にここで倒れた武州(今の埼玉県)からの旅人の供養碑。 |
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急な上り坂と緩やかな道が交互に現れる峠道、途中には賀田湾の眺めが良い場所もあります。ベンチも時々置いてあるので、休み休み歩いてください。 |
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曽根の一里塚跡。石畳道をはさんで両側の林の中に、周囲より少し高くなった土盛が今でも残っています。この地方では、比較的、形状をよくとどめています。
尾鷲地方の一里塚は、江戸時代中期の正徳2年(1712年)に巡見使が通行する際、紀州藩がこれを整備したという記録が残っています。 |
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一里塚を越えた後も、急な坂と緩やかな道が交互にありますが、そのほとんどに石畳道が残っています。見事な石畳道、じっくり味わって歩きたいところです。 |
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左:しばらく石畳道を上ったところで、東屋のある平地、甫母峠に到着です。かつては「ほうじ茶屋」があって、多くの西国巡礼者や旅人をもてなしたそうです。天明6年(1786年)にここを通行した旅人の道中日記には、すでに茶屋があったことが記されています。
右:甫母峠にあるお地蔵様、宝暦7年(1757年)という年号が刻まれています。かつては紀伊の国と志摩の国の国境だったこの甫母峠、今は尾鷲市と熊野市との市境になっています。 |
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