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 |
駕篭立場から少し歩いたところにある、伊勢内宮 清順上人供養碑。清順上人は、伊勢と紀州を何度も往復し、尾鷲市の常声寺に逗留して当地方を勧進したという謂れがあります。 |
 |
 |
(八鬼山越えの落書き問題)
このコースを歩くと、道沿いの木々や岩に赤や黄色などのペンキで「世界遺産登録反対」といった文字が、いたるところに書かれているのを目にします。この八鬼山越えもコースのほぼ全てが世界遺産登録されていますが、この道沿いの山林所有者などの中には、「登録に伴って、林業が自由に営めなくなるのではないか」とか「登録されることで土地利用が制限されるので、財産権が侵害される」といった主張をしている人がいて、その意見がこのような形で表現されています。世界遺産登録が盛り上がりを見せていた2003年頃から、このような光景が目にとまるようになっています。 |
 |
世界遺産登録に様々な意見があるのは当然のことですが、この落書きとも言える行為で、八鬼山越えの素晴らしい景観は大きく損なわれてしまっています。
このコースを歩くときには、今の熊野古道の姿として、こういった問題があることも知っていただければと思います。 |
 |
石畳道を上っていくと、林道に合流。林道をはさんですぐ向かい側に道が続いています。 |
 |
 |
林道を越えてからも緩やかな上り坂が続きますが、間もなく、このコース一番の難所である「七曲」の急坂になります。解説板のあるところから約280mにわたって、急な斜面をクネクネと曲がる石畳道が続いています。石畳の状態も良いのですが、楽しむ余裕はないかもしれません。 |
 |
七曲を越えると、ほぼ平坦な土道が少し続きますので、呼吸を整えることができます。八鬼山越えの道も、上りと平坦な道が交互になるように通っているようで、かつての道づくりの技がうかがえます。
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平坦な道を歩いていくと、「桜茶屋一里塚」があります。かつて両脇にあった松と山桜はなく、石碑が置かれています。ちなみに、尾鷲地方の「一里塚」は、正徳2年(1712)、公儀巡見使が通行する際に整備されました。 |
 |
一里塚を越えてから少し平坦な道を歩くと、九木峠まで急な上り坂が続きます。その途中にある奇岩、蓮華石と烏帽子石。江戸時代の道中日記にも出てくるもので、この辺りの地名(小字)にもなっています。 |
 |
 |
左:九木峠手前、最後の急坂を石畳道が続きます。
右:九木峠(標高522m)。峠には大正時代に立てられた角柱の道標が残っています。九鬼水軍発祥の地、九鬼村役場が立てた道標で、活発に利用されていた峠であることがわかります。この峠からまっすぐ直進すると九鬼方面へ向かう林道へ合流。右へ進むと八鬼山峠・八鬼山山頂です。 |
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