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井鵜殿村は三重県最南端にある総面積が3平方kmにも満たない日本一小さい村である。熊野川を境に和歌山県と接し、面積は小さいが人口密度は県下2位。神武東征の際には、皇軍の熊野上陸を先導したという記録が残っており、熊野川河口近くにある港は、熊野水軍の本拠地として栄えた。
熊野水軍は全国から熊野三山へ寄進された年貢の輸送や警備が主な任務で、その水運力は源平・南北朝の戦いに大きな影響を及ぼした。今では毎年10月に行われる熊野速玉大社例祭の御船祭(みふねまつり)の諸手船(もろとふね)にその面影をとどめる。
また、鵜殿港には熊野川流域の木材集積地でもあったが、今は一大産業である製紙工場の積み出しが中心となっている。 |
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鵜殿港 |
港から約1km離れた所、梶鼻(かじはな)に大岩がある。かつて熊野古道、伊勢路にあった数少ない王子(熊野詣の休憩所と遙拝所を兼ねていた)のひとつ、加持鼻王子権現跡といわれている。浜街道と呼ばれた七里御浜海岸にあり、相当大規模な王子であったが津波などで何度か流出し、明治の始め頃には既に「王子権現」としての形は残っていなかったようである。今は、約1km離れた紀宝町井田上野に新たに祀られている。
今の鵜殿港は浜辺を埋め立て、防波堤を築くなどして出来上がった。そのために海岸線が急激に変化し、大岩はコンクリートの堤防に挟まれ、美しかった小石の浜は浚渫(しゅんせつ)工事で出た砂やテトラで失われた。
それでも、不思議なことにこの大きな奇岩から、いにしえの人々が感じたであろう”大自然”(熊野の神)の力を感じることができる。 |
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梶鼻の大岩 |
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