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物資の輸送はほとんど海上交通であった江戸時代、須賀利(すがり)は良好な避難港として常に5隻は滞船していた。その須賀利港の入口は高さ百メートル以上の絶壁がほぼ垂直に海に落ちる尾南曽鼻(おなそはな)である。
その先端は近くには「ごけ島」と呼ばれ、かつて若い男衆を何人飲み込んだのか分からない岩礁がある。
その尾南曽鼻と寺島の奥がかつて伊勢神宮の御料地いわゆる佐和御厨(さわみくりや)と呼ばれていた元須賀利(もとすがり)である。今は人も住んでいなく、神社がひっそりと建っており、かつての名残を人家跡や炭焼窯跡に認められるだけである。
元須賀利には「佐和の池」とか「沢の池」と呼ばれている須賀利大池がある。うっそうとした亜熱帯お呼び暖帯性の樹林の中に、たたずむその姿は大蛇伝説や大蜘蛛伝説の舞台にうってつけである。
須賀利大池は湾の入口が砂礫(されき)でふさがれて出来た海跡湖の一つである。湖の湖岸には、いきた化石と言われるハマナツメ群生地がある。
大池の北西の端が江戸鼻で荒磯となっている。また、東には昭和34年の伊勢湾台風のときそこから海水が入り込んだ大窓があり、江戸鼻と動揺の荒磯となっている。
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尾南曽鼻から須賀利を望む |
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須賀利大池と大窓 |
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江戸鼻付近 |
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須賀利大池の大窓海岸 |
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