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波田須神社の前を降りると、再び国道311号線に再び合流。戦没者慰霊碑があり、ちょっと広いスペースになっています。
国道をはさんで反対側にある細い道に入っていくと、徐福の宮への道が続いています。国道311号線をまっすぐ行っても大吹峠の登り口に着きますが、せっかくなので徐福の宮を見ていきましょう。下の画像、中央にある大きな木のあるところが徐福の宮です。
波田須神社から国道に合流したところ、徐福茶屋へ下りる道の横に小さな茶屋があります。徐福茶屋という名前で、地元産の野菜などが置かれています。この茶屋のテラスからの眺めは抜群なので、ちょっと立ち寄ってみましょう。(右画像の中央にある木が、徐福の宮。) 茶屋の横にある細い道に入って、急斜面のコンクリート道を下っていき、案内標識に従って左折し、民家の間を抜けていくと徐福の宮へ至ります。
今から約2200年前、秦の始皇帝の命により、徐福は不老不死の仙薬を求めて大船団を組み、東方に向かって船出しましたが、途中台風に遭い、徐福の船だけがこの地、矢賀の里に流れ着きました。 紀州への永住を決意した徐福は、焼き物・土木・農耕などの中国の文明を里人に教えたと言われています。今も波田須に残る窯所、窯屋敷という地名はこの名残だと言われており、秦の時代の半両銭も見つかっています。 このことから、この地は秦住(はたす)と呼ばれ、後に波田須(はだす)という地名になったとか。
楠の巨木が茂る丸山は、「矢賀の蓬莱山」と呼ばれています。徐福の墓の石碑は、稲荷神社と合祀されているこの小祠の後ろにあります。御神宝は直径20cm余りの小さなすり鉢で、地元の人々によって大切に守られています。
徐福の宮から波田須駅へ、急斜面に続いていたコンクリート道へ戻ります。
徐福の宮から来た道を引き返し、途中で波田須駅へ通じる細い道へ入ると、間もなく波田須の集落が見えてきます。とても美しいところで、晴れていれば素晴らしい海の色を楽しめます。 シンセサイザー奏者の矢吹紫帆さんが、この集落の魅力に惚れ込んで、京都からここに移り住んでいます。「天女座」というカフェ&ホールを開いているので、時間があれば行ってみましょう。
波田須の集落を抜けて小さな沢のあるところに、弘法大師の御足跡水があります。状態の良い石畳がわずかながら残っているきれいな場所です。 岩肌に開いた穴には万病に効くという霊水が貯まっていて、枯れたことがないと言われています。
昭和のはじめまで、この地に茶屋がありました。ここのおたけ婆さんというお婆さんの名が、茶屋の名となったそうです。 この茶屋のすぐ上の山から清水が落ち、道はなだらかで、冬は暖かく、夏は涼しく南方に海が開け、格好の休み場所だったと思われます。