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2003/10/26
楯ヶ崎
(
熊野市(旧熊野市、旧紀和町) ) |
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熊野といえば、日本の歴史が始まるだいぶ前、神々が活躍したという古代ロマンあふれる(?)神話の土地。地域の案内板をみても参考文献が「日本書紀」とあるほど、ニッポンの古?い神様達がどうしたこうした、という伝説の場所が多くある。土地柄、外遊びしながら神話の世界に触れてみる、というのも面白いかもしれない。私はお勉強好きなという日本人の特質をかなり濃く持っていて、歴史・文学・言語学、民俗学しながら歩き回るのが大好きだったりするのだ。
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熊野市の二木先湾にある「楯ヶ崎」。 ここは初代天皇と言われる神武天皇が上陸したという伝説が残る岬。九州から倭国(奈良県)を目指していた天皇は海路、楯ヶ崎から上陸して、あたりの住民を苦しめていた「丹敷戸畔(にしきとべ)」をやっつけたのだという。ちなみにこの辺りは日本書紀第三巻にあるらしい。
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神話時代の話なので、どこまでがホントかわからないけど、楯ヶ崎へは心地よい散歩道があるというので「神話ロマンウォーキング」と勝手に銘打って、楯ヶ崎まで歩いていくことにした。 「楯ヶ崎遊歩道」は国道311号線沿いの案内板からスタート。この森は吉野熊野国立公園の中でも特別保護地域になっていて、暖かい地方独特の常緑広葉樹林の森が広がっている。なるほど、見慣れた四国の山の様子とはまるでちがう。森の空気はしっとりと湿り気があって、岩には苔が生え、シダ類も多くあって、この地域の雨の多さが実感できる。
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20分ほどで、海辺の阿古師神社に到着。ちょうど山から下りてきた格好になる。この阿古師神社は二木島湾の東端にあり、湾の西端にある室古神社と共に「二木島祭」の舞台だ。海の荒くれ男達の二艘の迫力競争が見物だそうで、実はこの祭りも神武天皇が由来。熊野灘沖で遭難した天皇一行を地元の漁師が助けたことから、二つの神社が船を出して競争し、その勝者が豊漁に恵まれるようになったという。死ぬ思いから助けてもらったのなら、両方を豊漁にしてあげたらいいのに、と思わないでもないが、でもまぁ、勝負があるから祭りも盛り上がるだろうし、良いのだろうと解釈。
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さて、阿古師神社からさらに進むこと20分。適度なアップダウンを経て「千畳敷」が見えてくる。文字通り畳を敷き詰めたような広く平らな岩盤だ。目の前に太平洋が広がり、見渡し良好、絶好の休憩ポイントだ。大の字にひっくりかえるが、ここまで来ると、向こうの方に本日のお目当て、楯ヶ崎「海金剛」が見えてくる。せっかちな私は休憩もそこそこに、再び歩き出した。楯ヶ崎へは今来た遊歩道に戻って歩くこともできるが、千畳敷の岩から直接目指すこともできる。平らな岩とは言っても、所々飛沫がかかって濡れていたり、でこぼこがあったりするので足元には要注意。 途中、高台の灯台横で何かの台らしき石段を見つけた。そのときは何気なく通りすぎたのだけど、後で知ったところでは、昔、そこに神武天皇上陸記念碑がおいてあったのだとか。肝心の碑はどこかというと、伊勢湾台風の時の荒波でさらわれてしまったらしい。いやはや、神々の地というのは自然もおおいに暴れまわる訳だ。
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さて、楯ヶ崎。高さ80メートル、周囲550メートルもあるという「海金剛」は岩の柱が幾重にも連なった柱状摂理の大岸壁。海から大空へ向けてドドーンとそそり立っている。思わず「デカーイ!」と声をあげてしまった。この日は天気はいいけれど、海は少々荒れ模様。太平洋の大波が打ち寄せるたびに飛沫が高くあがり、海面には波が青白く泡立っ渦巻いている。「楯ヶ崎」という名前の通り、楯のように立ちはだかって波を砕いているわけだ。平安時代の歌人、増基は楯ヶ崎を訪れて「神の戦ひしたる所、とて楯を突ひたるやふな巌どもあり」感想を詠んだというけど、なるほど、神々が戦った場所とイメージするにはぴったりの、勇壮な景色である。
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神武天皇上陸地、楯ヶ崎へと続く遊歩道は国道311号線。楯ヶ崎は国道からは見ることができず、実際に歩いた人だけがその勇姿を見ることができる。ぜひとも歩いて見にいこう。片道約40分の一本道で、灯台付近は周回コースになっているが、標識があるので迷う心配もない。終始歩きやすい遊歩道が続くので、スニーカーでOKだが、苔むした石段や岩場はすべりやすい。ヒールのついた靴などはご法度。足元はしっかりと、動き易い服装で出かけよう。
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場所 |
楯ヶ崎 |
交通 |
JR二木島駅下車徒歩90分 |
駐車場 |
あり |
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