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熊野市大泊町の観音道登り口近く、国道42号線横すぐに落差約50mの清滝があります。 子供の頃、滝の上に登り、下を見て恐さで足がふるえたのが思いだされます。 国道から滝壺まで15mぐらいで、国道横に駐車が出来るスペースがあり気楽に立ち寄れます。 国道が通っていない昔、霊気が感じられる、この清滝で泊観音の堂守や不動さんの堂守が水垢離をとり修行したので別名(観音滝、不動滝)とも呼ばれています。 この滝壺横の洞窟に不動明王が祀られていて、今でも信者の方が訪れています。 この不動明王について古老に聞いたお話を紹介します。
明治から大正にかけ、清滝下流に広島出身の沖アサヒさんが不動さんの堂守を建て、夜遅くまで護摩を焚き、大泊や近在の人で大変な賑わいでした。 ところが立派な不動明王を滝壺横の洞窟に安置したまま、沖さんが広島へ帰ることになりました。 この不動明王が何回も盗難に遭いました。
その1 盗んだ人が新宮の古物屋に売ったが、古物屋が清滝の不動さんと知り戻してくれた。
その2 不動明王が金でできていると思い盗んで腕を切ったところ、銅だったので捨てた。その後拾った人が鋳掛屋で腕を元通りにして、清滝に戻してくれた。盗んだ人は仕事で腕を切り落としたと言われている。
その3 有馬松原に不動明王が放置されているのを、志原尻の魚屋さんが木本へ魚を買い付けにいく途中で見つけ、魚を買わずに家に持ち帰り、調べて清滝に戻してくれた。家族に魚を買わなかったことで文句を言われたが、その翌日、日頃の3倍〜4倍の魚を買い付け、すべて売り尽くした。
その4 鉄道工事のころ、工事に来た人が盗み、飯場の床下に隠していたのがバレて清滝に戻した。
その後また盗難に遭い、この不動明王は今現在戻ってきていません。
不動明王がないため、新鹿町の信者のT氏(故人)が不動明王を寄進し祀っていましたが、この不動明王も痛んできたので、木本町のN氏が新しく寄進しました。 現在洞窟のアルミサッシの扉の奥にT氏が寄進した(小さめのもの)とN氏が寄進した不動明王が並んで安置されています。
◆東紀州百科事典の方でも紹介しています。(お話にまつわる写真が多くご覧になれます。) |
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