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尾鷲市賀田町「トチの森」 <
とちのもり > |
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尾鷲市 > |
尾鷲市賀田町には、200本近くの「トチの木」が自生し、それらの中には推定樹齢300年以上の木が100本以上もあるという、全国的にも数少ない自生林だと言われています。
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賀田町の山にこれだけ多くの「トチの木」が残ったのは、地元の言い伝えによると、一つには、紀州藩が、乱伐に寄って荒れ果てた山を復興するために「留木制度」を作ったからだという。この「留木制度」は、寛永13年(1636)に新宮領主水野重央が、「奥熊野山林御定書ナラビニ先年の壁書」で熊野六木であるクス・カヤ・ケヤキ・スギ・ヒノキ・マツに加えて「トチの木」の伐採をきびしく制限したものである。これらの木を勝手に伐ると厳しく罰せられたために木を伐る事ができなかったようである。
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もう一つには、江戸時代に飢餓で農作物がほとんど収穫できず食べる物がなくなったときに、アワやヒエなどとトチの実を混ぜて食べ、飢えをしのいだ。それで、炭を焼くために雑木林を伐っても、土地の人たちは生命を救ってもらった「トチの木」は、伐らずに大事に保存してきたのだという。
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参考文献 |
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なし |
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その他関連情報 |
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なし |
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