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クマノザクラ <くまのざくら> |
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クマノザクラは2018年、日本国内の野生の桜としては100年ぶりに新品種と森林総合研究所多摩森林科学園の勝木俊雄先生によって確認されました。
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神木四本杉 <しんぼくよんほんすぎ> |
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熊野市飛鳥町小阪の飛鳥神社にある樹齢1300年、高さ10メートル以上、幹回りは9メートルを超え、紀南地方屈指の大きさを誇ります。 平成25年6月2日(日)に、この神木「四本杉」にちなんだ初めての祭りが開催されます。
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自然・風土・環境 情報一覧 |
赤羽川の鮎釣り <あかばがわのあゆつり> |
7月に入ると赤羽川の鮎釣りもいよいよ佳境に入って来ます。 川の漁協に入川料を払えば、誰でも釣りができるので、中高生たちが暇を見ては鮎シャクリに出かけます。連れていってもらったのは、大原の三ツ谷。中学生たちはずっと以前からこの場で、素潜りのシャクリをしていて、それが次々に小さな子に伝えられてきています。
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アサギマダラ <あさぎまだら> |
マダラチョウ科に属する体長10・くらいのチョウで、春に羽化し、夏は北日本へ移動して、秋に南日本へ「渡り」をする不思議なチョウといわれています。 アゲハチョウと大きさはだいたい同じですが、アゲハは空中を滑空するように飛ぶのに対し、アサギマダラは優雅に羽ばたきながら飛ぶチョウです。 この地方では南下をする10月頃によくみられます。 |
飛鳥神社の楠(くすのき) <あすかじんじゃのくすのき> |
尾鷲市曽根町にある飛鳥神社は、1200年以上の歴史があるといわれる神社です。 海に面したこの神社内の植生が豊かで、境内を覆う樹叢は、特徴的な紀伊半島の海岸林であるため、県の天然記念物に指定されています。 その中でも一際巨大な楠(くすのき)があります。 |
アユカケ(アイカケ) <あゆかけ(あいかけ)> |
写真は、北山川で熊野市紀和町の川漁師さんが小鷹網漁によって取ったアユカケ。 アユカケは、川魚の一種でカジカ目。地方によって呼び名が違い高知ではカマキリ、金沢ではウラジロ、富山ではグズと呼ばれている。 紀伊半島では、アユカケ、アイカケと呼ばれているが、その呼び名はこの魚に鰓がい前骨の辺縁に4つの棘(片側2つ)を持つことから付けられている。 紀和町の川漁師さんのお話では、鮎が食み(ハミ)にくる石にひっそりと隠れていて、鮎が近づくとその刺をひっかけ鮎を傷つけ弱らせてから丸呑みすると言っていました。その刺は鋭くアイカケの持ち方を間違えると人の手もざっくりと切れるそうでとても危険ですが、刺に毒はないようです。 しかしいろいろと調べてみると、アイカケはそのように鮎を捕ってはいないことも書かれていたりします。敵から自分を守る為の役割が多いのかもしれません。 |
海開き(古里) <うみびらき(ふるさと)> |
昭和二十年代初めに、当時の青年団が古里海岸宣伝のため、浜びらきと称して砂浜に野外演劇場を設け、観光客誘致をしたのがはじまりでした。当時は一キロ余にわたって開けた砂浜と青い松原など、紀州随一を誇る美しい海岸といわれておりました。 |
尾鷲神社の「大楠」 <おおくす> |
目どおり周囲約10mと9mの2本のくすの木が余り広くない道路に覆い被さるように並んで立っている。木(市の木は桧)と魚の町”尾鷲”の中でも青々とした若葉が一際美しさを輝かせ、尾鷲神社の歴史と風格を一段と高めている。この大楠は、寛永13年(1636年)に奥熊野在在の調査を実施した紀州藩の改め帳に記録が残され、それによると当時既に周囲6mあったとのことである。 この寄り添うように立っている2本のくすの木は、「夫婦楠」といわれ夫婦和合、縁結び、子授、延命長寿の神として奉納されている。 |
掛磯の夫婦岩 <かけいそのめおといわ> |
尾鷲市大曽根浦の掛磯に夫婦岩があります。 その昔、大宝天王社(尾鷲神社)の御神宝である獅子頭がこの掛磯に打ち上がったと言う伝説があり、この磯を神聖な地として敬い、毎年1月の吉日を選んで新しい、しめ縄に張り替える神事を継承している。
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クマノザクラ <くまのざくら> |
クマノザクラは2018年、日本国内の野生の桜としては100年ぶりに新品種と森林総合研究所多摩森林科学園の勝木俊雄先生によって確認されました。
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熊野市百科大辞典:周辺の町や村 『早田』 <くまのしひゃっかだいじてん:しゅうへんのまちやむら 『はいだ』> |
早田 (「はいだ」と読みます) は尾鷲の南、戦国時代に海賊大名として名をはせた、九鬼氏の故地である九鬼 ( 九木とも書く ) から岬を一つ越えたところの湾奥の漁村です。早田湾口の北側が明神崎、南側が橋掛崎です。私自身は行ったことが有りませんが、漁村というのは、船で緊密につながっていまして、私の母の里である 梶賀 から、陸を行くと結構遠いのですが、船では隣みたいなものです。
私の母も、早田も、早田の人々も良く知っているようです。山村の場合、昔は山一つ隔てていた二つの村でも、峠を越えて緊密なつながりがあり、嫁取り婿取りの往来もあったが、現在では、道が谷沿いに出来てしまったばっかりに却って遠くなってしまっているような事があります。漁村の場合は船があるからそんなことはないです。 |
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