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熊野市百科大事典:名所・観光地 『飛鳥』 <
くまのしひゃっかだいじてん:めいしょ・かんこうち 『あすか』 > |
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熊野市(旧熊野市、旧紀和町) > |
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又川に沿った、大又、小又、小阪、佐渡(さわたり)、野口、神山(こうのやま)の村村からなります。大又川は、矢の川峠(やのことうげ)付近から南流し、小阪で北に向きを変え、五郷町に入って北山川に合流します。
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海岸との交通は、大泊から国道42号線が佐田坂を越えて小阪につながっています。佐田坂が開通するまでは、木本から評議峠越えの道がありました。評議峠とはなかなか良い名前だと思います。小学校の頃、遠足で行ったことがあります。当時でも廃道に近かったのではないでしょうか。木本高校の脇を通って新田(しんでん)から、西郷川(今は「さいごうがわ」とかなが振られていますが、我々子供の時は「にしごのかわ」と言っていました)に沿ってさかのぼり、上水道の施設がある所をすぎて随分遠かったと覚えています。
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新鹿からは八丁峠を越えて小阪とつながっています。この道は古い道です。 小又からは鳥越林道(これもなかなか風情のある名前だと思いませんか)を通って、賀田に抜ける道がありました。私が中学生の時にこの道は既にかなり荒れてました。まだ通れるのでしょうか。知りません。
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大又には、星野という所があって、中世、ここに住んでいた星野源六左衛門は、南朝・後南朝に仕えたといわれます。また、国道42号線を尾鷲に向かった大又トンネルの少し手前の国有林には、目通り周囲11メートルを超え、樹高32メートル、樹齢800年と言われる桂の巨木があるそうですが、残念ながらまだ見たことがありません。 神山の 光福寺 には 後南朝 の哀史が伝わっています。また光福寺本尊の阿弥陀如来像は室町中期以前の作といわれます。
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参考文献 |
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・熊野市百科大事典 ・「みえ 東紀州の旅」 |
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その他関連情報 |
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なし |
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