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紀和町赤木にある城跡です。 現在は石垣しか残っていませんが、当時のこの地方の城でこれだけの規模の石垣が築かれているのはここだけです。 2004年10月23日、13年かけて行われた保存整備事業が完成しました。
平成元年10月9日、国史跡に指定された赤木城は、豊臣秀吉の家臣であった藤堂高虎が天正16年(1588年)に築いた城です。中世と近世の築城法を併用した平山城で、石垣は面乱層積みで反りがなく、主郭の四隅は算木積みと横矢掛りの工法を用いており、築城当時の原形を残した城跡は全国でも少ないようです。
地元にとっては厳しい支配下におかれ、大規模な一揆(北山一揆など)が再三おこりました。 北山一揆後、多くの住民が処刑されたのは有名で、日本残酷物語にも出されるほど陰惨を極めています。 赤木城の近くには、処刑場跡(田平子峠)に供養塔があります。藤堂、浅野(新宮)によって処刑された人の数は500人以上。田平子峠に道路を付ける工事の時にはたくさんの人骨が出たと言われています。 天正一揆に関する古謡が残されています。 「行ったらもどらぬ赤木の城へ、見捨てどころは田平子じゃ」
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場所 |
紀和町赤木 |
交通 |
熊野市駅より車で約40分 |
駐車場 |
普通自動車10台以上置けるスペース有り |
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