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里泉遠室町後期の弘治年間(1555?7)南輪内地方に盗賊が横行して困ったことがあります。そのとき曽根・賀田・古江・梶賀の四郷の重だった人々が相談し、近江国の佐々木宇右衛門を招いて治安に当って貰いました。この宇右衛門は当時近江の甲賀を領していた六角氏の支族ですが、曽根に到着すると、今の市役所出張所の前に居館を築き、曽根浦の南にそびえる城山の上に、山城を築きました。
宇右衛門は名を「曽根弾正」と改ため、南輪内四村と二木島浦などの四村と、計八か村を領有しました。紀伊続風土記に「城山は南の山にあり、東西三四間南北一八間、堀の跡もあり、つつじ城・宇杉城ともいう」と記してあるように、この城には内堀・外堀・井戸跡が残っており、また西は岩盤が砦のように立ち塞がり、天然の要害となっております。
天正年間新宮の堀内安房守氏善が当地方を猛攻したとき、曽根弾正は堀内氏と意を通じていたので、この山城は弾火を浴びずにすみました。この山城から見おろす輪内湾の眺望は見事で、市内随一の名勝地です。又4月になると、全国でもめずらしい濃い紅紫色のムラサキオンツツジの群生が見られます。
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