元旦の朝、尾鷲市九鬼地区の正月梼屋行事として行われる「にらくら」まつりの呼びもの「角力取り」などが行われました。 8時頃、昨日ひょうけんぎょうが行われたにらくらの中にゴザが敷かれ神主に代わる共同組合長を上座に村組、配役、大梼、小梼の順で梼人が座り盃を交わし(画像)、ぶりの刺身や小膾など(画像)を食しました(上の祝の儀式)。 周りには、住民の方々のほかZTVのテレビカメラをはじめ多くの記者、カメラマンが奇祭とも呼ばれる漁師町の伝統的な行事に注目していました(画像)。 8時50分頃、上の祝の儀式が一段落し器などが片づけはじめ出すと、にらくらの周りにさらに人が集まりざわざわし始めました。 すると各梼人から共同組合長に前日持ち寄った十二梼(賽銭)を手渡すと、組合長から石垣の周りにいる人々に100円玉や10円玉が撒かれ、集まった人々(特に子ども)が懸命に拾ってました(画像)。 撒き銭が終了後、にらくらから梼人が一旦、中座しその後、にらくら内に敷かれていたござが周りの石垣の上に置かれ(画像)、合羽を着た梼人(小梼)がにらくらの中の消し炭に海水をかけて泥状にしていきます(画像)。 またそれら泥を二つの俵に詰めて土俵を作ります(画像)。 9時20分頃、ふんどし一丁となった4人の梼人(大梼)が泥田のようになったにらくらに入りそれぞれ泥の詰まった土俵をもって海側と山側に分かれて2人づつ相対します(画像)。いよいよ奇祭と言われる「角力取り」の始まりです。ただ「角力(すもう)」といっても取っ組み合いをするわけではなく互いに泥をかけるものです。 これは一対一で相対したふんどし姿の梼人が順番に相手方に泥をかけるもので、まず目の前に土俵をおき2本のマナ箸で左右同時に突いた後(画像)、それを高く持ち上げて相手の前で振り落とし、泥をかぶせる。 これを3回繰り返し、最後は相手に手で直接泥を塗りつけていきます(画像)。 土俵が振り落とされる際、石垣の外にまで泥が飛んでいくので見物人は石垣の上に置かれたゴザで防御することになります(画像)。このとき、見物人は「まだまだ泥が足りないぞ」、「顔に塗れ」など梼人に向かってはやし立てます。 4人の梼人による泥かけあいが終わったあと、これまだふんどし姿の子どもたちが4人入って梼人達と角力をとります(これも取っ組み合いをするのではなく、泥をかけあうような感じです)(画像)。 こうして炭の泥まみれになった梼人達は、一目散に魚市場の方に向かって走り海に飛び込み、垢離(こおり)をかいて儀式を終えます。 その後は、共同組合で下の祝の儀式し「賀儀取り」の宮上げをして、翌日の鰤まつりに備えます。 <にらくら祭りの元旦(1月1日)のスケジュール> ○1月1日 □船上での豊漁祈願神楽 6時半〜7時 【場所】九鬼湾内 九木神社に神楽を奉納した後、鰤大敷網の船に乗って豊漁を祈願して獅子舞を行う。 □にらくら祭・上の祝 8時〜 【場所】にらくら(真巌寺の下) 元旦の朝、にらくらの内部にござを敷き円座となって共同組合長を上座に村組、配役、大梼、小梼の順で座り盃を交わし刺身や小膾などを食します。 式の最後に見物人に巻き銭(100円玉)を行います。 □にらくら祭・角力取 下の祝 9時頃 【場所】にらくら(真巌寺の下) にらくらの中の消し炭に海水をかけて泥田のようにした後、祭りの梼人達が裸になってにらくらの中へ入り相撲をとるなどして炭で真っ黒になります(真っ黒になればなるほど大漁があるともいわれています)。 その後真っ黒になった梼人達は、その後魚市場に向かい海に飛び込みます。 その後、協同組合で下の祝が行われ盃を交わし、宴が行われます。 □賀儀取り宮上げ 11時 【共同組合→九木神社】 正月祭礼の期間中に九木神社の籠堂にこもって身を清め、1月3日の鰤祭り本祭り時に弓射の役をする「賀儀取り」となる少年(中学生)を九木神社に上げる儀式が行われます。 (賀儀取りは1日11時〜3日10時ごろ丸2日間、神社で身を清めます)
動画のURL:http://kumadoco.net/movie/detail.cgi?no=241
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「上の祝」の儀がにらくらの中で厳かに行われました(1日8:20頃) |
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「上の祝」の儀が終わった後、共同組合長から見物人に撒き銭が行われました(1日8:50頃) |
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相手方の前に土俵を振り落として泥状の炭をぶっかけます(1日9:20頃) |
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梼人の泥のかけ合いが終わった後は子ども達も交えてさらに泥をかけ合います(1日9:25頃) |
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角力取りが終わった後は魚市場前で海に飛び込み垢離かきを行います(1日9:30頃) |
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