平成19年12月2日(日)良く晴れた穏やかな日曜日、紀州犬の発祥の地といわれている御浜町阪本を中心に「紀州犬サミット」が開催されました。 この紀州犬サミットは、「紀州犬発祥の地・御浜町阪本地区」で紀州犬の資質を見直し、猟性能から保存されて来た良性、素朴な紀州犬の保存に努め、資質の向上を図るため開催され550人の来場者が訪れました。 今回のサミットでは、阪本コミュニティセンター会場をメイン会場に、 紀州犬天然記念物登録審査会及び日本犬観賞会並びに表彰式(10:00〜12:00) 紀州犬弥九郎の墓参(12:00〜13:30) ※昼食時猪汁の振る舞い 作家甲斐崎圭先生の講演(13:30〜14:30) (テーマ)紀州犬 生き残った名犬の地 創作太鼓「紀宝楽」による太鼓演奏(14:30〜15:00) もちまき(15:00〜終了)がおこなわれ、もう一つのイベントとして「紀州犬と歩く熊野古道ウォーク」がおこなわれました。 「紀州犬と歩く熊野古道ウォーク」では、尾呂志「さぎりの里」より9:10に語り部の渡邉芳遠氏・須崎行雄氏・清水鎮一氏と共に御浜町地内の横定峠〜弥九郎の墓(紀州犬の祖と言われるマンというオオカミの子を猟犬にした阪本の猟師)〜折山神社〜〜上地の地蔵〜横垣峠石畳〜東屋まで歩いて戻り、折山神社で昼食をとり、13:30からの作家甲斐崎圭先生の講演に合わせて阪本コミュニティセンター会場へと移りました。 コミュニティセンター会場では、9:30より開会式、御浜町長の挨拶から始まりました。 10:00から紀州犬天然記念物登録審査会及び日本犬観賞会がおこなわれ、今回12頭の登録申請があり、新たに10頭の紀州犬が登録されました。 また今回のサミットでは、紀州犬の温和な性質を活かし、紀州犬と触れ合うこともでき、天然記念物紀州犬の素晴らしさを実感できました。 13:30からの紀州犬「生き残った名犬の血 」(光文社新書) の著者である甲斐崎圭先生の講演がおこなわれ、多くの人が紀州犬にまつわる講演に耳を傾けました。 紀州犬の持つ性質やオオカミの血が入っていてもおかしくない特長、また北海道の羅臼で飼われている名猟犬の血を引く紀州犬 熊五郎の話を中心に、猟犬としての紀州犬の素晴らしさを、蝦夷鹿やヒグマに向かう熊五郎の写真と一緒に大変興味深い話を聞くことが出来ました。 その後、審査会の結果発表と各賞の授賞式がおこなわれ、創作太鼓「紀宝楽」の演奏、餅ほりがおこなわれ紀州犬サミットは閉会となりました。 今回のサミットは、観る・ふれる・知る・喰う(猪鍋のふるまい)・楽しむ・歩くをテーマにおこなわれ、充実した内容のサミットとなりました。 ◆関連リンク ●2006年天然記念物「紀州犬」審査会 ◆紀州犬物語(弥九郎とマンのお話)(御浜町HPより抜粋) 江戸時代、紀の国は阪本村に弥九郎という鉄ぽう撃ちの名人がいました。 ある日の夜、弥九郎が山道を歩いているとのどに骨がひっかかり苦しんでいる一匹のオオカミがうずくまっていました。 弥九郎は骨をぬいてオオカミを助けると「もしよければ、おまえの子供を一匹おれにくれんか。」といって、オオカミを放してあげました。それからしばらくして弥九郎の家の前に一匹の子犬がおいてありました。弥九郎は、これはあのオオカミの子にちがいないと思い「マン」と言う名をつけて大事に育てました。 ある年、新宮のお殿様が狩りをした時、1頭の手追いのイノシシが殿様めがけて突進して来ました。 それを見たマンはイノシシにおそいかかりみごとにたおしてしまいました。 こうしてマンは、このあたりでは知らない人がないほど有名になりました。 この弥九郎の犬が、後の紀州犬の先祖だということで、紀州犬はオオカミの血をひいているといわれています。 マンの主、弥九郎は実在した人で阪本の岩洞院というお寺にお墓も残されています。
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