28日、紀北町紀伊長島区長楽寺本堂に於いて、地元ボランティアグループ・古道魚まち歩観会による特別講演会が行なわれました。 講師に紀北民族研究会・会長 小倉肇・紀北町教育長を招き、『紀伊長島のふるさと四方山話〜地名・伝説・民俗』の演題で長島の歴史・文化について会員や一般参加者が約90分程真剣に耳を傾けた。 長島と関わりの深い熊野古道の歴史や、熊野・牟婁・紀州の各年代毎の区分にはじまり、古事記・日本書紀にも触れ、熊野信仰や巡礼者が何故熊野を求めたか?について話された。 本題の『長島よもやま話』に入り、「地名と姓」では、地元長島の地名のいわれや、どのように現在の長島の地形ができ、地名がついたか、なぜ長島には、東・小川・宮原の姓が多いか説明。 長島は江戸時代より人口があまり変わらず、当時も2500人の人で賑わっていて、漁業で栄えた町には、映画館・料亭・遊郭が建ち並び、町内外より多くの人が訪れ、まるで不夜城のごとく朝まで賑わっていたそうである。 「山村と漁村の文化・民族」の話では、長島弁について触れ、漁場ならではの端的で早口で話すことから、無愛想と誤解されやすいこや、今でも相手を呼ぶ時に使われている、「いの(ino)=対等」・「いな(ina)=目下」・「お前(omae)=目上」や、長島的現在進行形(ing)のキョル(「行っキョル」、「しぃーよる」)や、子供達のあそびである“おじゃみ(お手玉)”の数え歌の歌詞の7番目・12番に込めらた悲哀から長島人の情の厚さ、粋な民族性が感じられた。 「伝えられた民話」では、長島の漁師に伝わる「タカボッサン」の民話に触れ、天気予報のない時代、沖で台風に遭い、逃げ遅れた船で船員がパニック状態になった時にタカボッサンが出てくる幻想を見るが、食べ物を口に入れ、「金比羅さん」と全員で祈ると無事に港に帰れると伝えられている。 「西長島の古道」では、西長島の海へと繋がる道には様々な表情の石仏があることや地蔵院で「ミザル・キカザル・イワザル」、「六本の手の観音さん」、「天の邪鬼」が見られること、300年前の大地震の際、津波で町民の5分の1にあたる500名が亡くなり、供養のために作られた安野地蔵がいまでも奉られている話しなど、途中、童歌を歌を口ずさんだり、笑い話もありで、楽しみながら長島の歴史を学ぶ興味深い90分間でした。
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地域に関わりの深い熊野古道・熊野についても説明された |
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