9月16日(金)〜19日(月)の4日間、三重県の文化財に指定されている古文書「尾鷲組大庄屋文書(おわせぐみおおじょうやもんじょ)」の調査が行なわれた。この古文書は、尾鷲市中央公民館郷土資料室に収蔵されているもので江戸時代の冊子およそ1万冊、書状や証文など一紙物が1万点以上という膨大な量。『数が多いだけなら、全国にはまだほかにたくさんの古文書がある。だた、尾鷲組大庄屋文書はその内容が極めて多様で豊富なのだ。なぜならば、江戸時代の普通の村社会とは違い、尾鷲には田畑も山林も港もあり、農業・林業・漁業・商業のそれぞれが豊かに発展していた。また、紀州藩の城下町和歌山から遠い尾鷲では、大庄屋に強い権限が与えられていたため、他には見られない文書が作られることとなった。』(紀勢新聞・南海日日に連載中の「尾鷲組大庄屋文書の世界」より)とあるように、他に類を見ない質的にも貴重な古文書で、その価値は学会にも広く知られているとのこと。当然、世界遺産登録された熊野古道についての記載も多々ある。 この調査は、三重大学と尾鷲市との連携事業の一環として行われたもので、三重大学人文学部の塚本ゼミ一同(教員・学生・卒業生など)、尾鷲の市民グループ「尾鷲古文書の会」、三重県史編さんグループからなる「調査団」は、2002年から6回の調査を実施して未整理であった一紙物の整理を進めてきており、今回が7回目の調査となる。八幡神社の例祭と重なったため、地元のメンバーには厳しい日程となったが、尾鷲市教育委員会会議室に20歳代の学生から?0歳代のシニアまでの老若男女が集まり、段ボール箱に詰められた莫大な資料と、4日間にわたって静かな格闘を繰り広げた。 また、調査期間中に栃の森を見学して、古文書に記載されていた内容について思いを馳せたり現地で詳細な説明を受けたりもした。 この古文書調査をきっかけに婚姻や就労など人口の出入りを調査し始め、前回の「須賀利再発見、明日の須賀利のために」につなげるなど、活動は地域活性化にも大きな効果をもたらしている。 (栃の森での写真は、三重大学人文学部教授 塚本氏提供) 三重大学
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この栃の実が飢饉から救ってくれたと古文書に書いてあったの |
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わからなければきちんと聞く!やっぱり先生が頼りです |
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