令和3年7月13日(火)〜18日(日)まで熊野市文化交流センターで企画展「第3回語り継ぎたい平和への想い『熊野びとの戦記』」が開催されました。 期間中、途切れることなく会場には人が訪れ、展示された熊野の地から戦地へと赴いた16人の体験談や遺品、手記などに長く見入っていました。 この企画展は、中田重顕さん(79)がコーディネーターを務め、この地域の戦争を体験した人や遺族らから貴重な歴史の証拠や証言を集めておこなわれました。 期間中、16名の中でただ一人ご健在な神風特攻隊の奇跡的な生還者である倉本宣男さん(紀和町)が会場を訪れたときは、一緒に写真を撮ってほしいと願い出る人たちで一際賑やかになったそうです。 会場内には、上記の倉本宣男さん(紀和町)、零戦に乗りミッドウェー海戦で戦死した岩間品次さん(紀北町出身)、戦艦大和の乗組員だった坪井平次さん(五郷町)、西南戦争に従軍した田岡音松さん、戦艦大和に乗り奇跡的に生還した坪井平次さん(熊野市五郷町)、戦艦大和と運命をともにした阪本定春さん(同市新鹿町)、大矢伸七さん(同市飛鳥町)、谷口亀三さん(同市井戸町)、梅屋栄さん(同市育生町)、空母赤城整備兵だった堀壽さん(御浜町)等の手記や遺品、聞き取りで話された戦争のことなどが展示されました。 76年を経て戦争の記憶や記録が薄れゆく中で、この地から家族のもとに戻ることなく戦地で亡くなった兄のことを綴ったパネルには、家族の全てが壊れたと書かれていました。戦艦大和の乗組員で奇跡的に生還した坪井平次さんの言葉は、戦争には美化されるものなど何もないことが書かれていました。 この展示の中でもっとも古い手記では、西南戦争に従軍した田岡の「鹿児嶋戦争記」で資料としても貴重なものであると、中田重顕さんがご説明くださりました。 会場に訪れる人に中田重顕さんはそっと寄り添い、丁寧に説明を続けていられる姿が印象的でした。 7月17日(土)には、午前10時30分からと午後2時からの2回、中田さんと御浜町の阪本浩子さんによるギャラリートーク「平和への証言『熊野びとの戦記』がおこなわれ、阪本浩子さんは父(海軍整備兵(海軍少尉)だった堀壽さん(阿田和出身))が残した文章を朗読しました。 18日(日)の展示最終日にも多くの人が訪れ、私たちのまちから戦地へと行かれた方が残された言葉や遺品にふれながら、平和を願い祈らずにはいられない気持ちになったのではないでしょうか。
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第3回語り継ぎたい平和への想い 熊野びとの戦記会場 |
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