4月18日(日)熊野あらけ隊により整備されてきた生活古道赤倉街道を歩くツアーが好天に恵まれた日曜日におこなわれました。 これは元々生活道として井戸町から育生町赤倉へと抜ける山道を「熊野あらけ隊」のメンバーが昨年5月から少しづつ整備して通れるようにし、落ち葉や木々、土に埋もれた中から見事な石畳などが見つかったこともあり、今回のツアーを熊野市歴史資料館長のご協力を得て開催しました。 今回ツアーでは、初心者向けのんびりウォーキングと題して、約7.6キロの工程をゆっくり楽しみながら、休憩も多く挟んで16名の参加者と共に、新緑の古道を楽しみました。 午前9時に県庁舎に集合し、コースの説明や注意事項を聞いた後、準備運動をおこないウォーキングが始まりました。 だるま市で有名な一乗寺を目指し井戸町の田んぼの中を歩き、一乗寺へと登りはじめて左側に入ったところに赤倉街道の入り口があり、そこからいよいよ熊野あらけ隊が整備してきた道へと入ります。そこには庚申さんが祀られており、井戸町への入り口だったことがわかります。その先でまた一旦林道へと出るのですが、井戸町から熊野灘を見渡せる眺望の良いところで休憩し、そして本格的な山道へと入って行きました。 1時間ほどでライオン広場と名付けられた石畳の続く広場に到着。 ここは、名前の刻まれた石が残っており、祭壇後があることから何か祀られていたところと考えられます。その横に倒れて朽ちかけた松の木が見る角度によってライオンに見えることで、「ライオン広場」と名付けたそうです。 その松の倒木から先は苔むした美しい石畳が続き、これを見ただけでも来た甲斐があるものと思うほどきれいに残っていました。 そこから4つの石畳の区間を過ぎて西ノ峰へと向かう分岐を過ぎた作業道で昼食をとりました。 この道の左側には、山の上まで続く棚田跡の石積みがずっと残っていました。機械のない頃に人力でここまでの棚田を作るにはどれほどのことだったかと感心しながら見ていましたが、今は荒れ果てた植林された山になっています。同行された方の中には、まだここが棚田だった頃のことを知っている方もみえて、今は木々で見えなくなったが太平洋をのぞみ棚田が広がる美しい風景をそこから想像してみました。 また、西ノ峰分岐点近くでは、昭和46年に井戸町でおこった土砂災害で多くの命が奪われたのですが、その土砂崩れの状態を当時、この山の上からおこった斜面の崩落を実際に見られた方が、その当時の状況を話してくれました。 ゆっくりと昼食をとり、元気を取り戻したあと、今回は向かいませんでしたがこの先にある一の水峠にある「髪梳地蔵」にまつわる話を熊野市歴史資料館長の更屋さんからお話を聞き、折り返しました。 途中、池川へを方向を変え、立派な棚田跡を見ながらその先に住んでいた住居跡で当時のことを覚えてる方の話を聞きながら、池川の集落へと降りました。 その先に、ここに住んでいて子供の頃遊んだ場所を蘇らせた大岩の展望台からの熊野の風景を楽しみながら、帰路へとつきました。 このツアーは、熊野あらけ隊のみなさんが、埋もれていた古道をきれいに、歩きにくい場所を整備し、生活道として大切にされてきた道を蘇らせたものです。 当時ここを利用して歩いた多くの先人たちのご苦労や植林される前の風景などを想像しながら巡るツアーとなり、大変満足のいくツアーでした。 ◆関連リンク 2021.4.18 のんびりウォーク「赤倉街道トレッキング」(時系列で紹介) 大きな写真で見る(くまどこブログ) 2021.4.18 のんびりウォーク「赤倉街道トレッキング」 大きな写真で見る(くまどこブログ)
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昭和46年に井戸町でおこった土砂災害の説明を受ける参加者 |
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