8月2日(日)午後2時〜御浜町役場 くろしおホールにて、戦後70年のおりふし、私たち熊野びとの先人が出会ったあの戦争の惨禍と真実を、映像と朗読で振り返り大人も子どももみんなで、ともに学び合い、かけがえのないこの平和のたいまつを次の世代に、また次の世代と渡しましょうと講師に中田重顕さん、朗読を阪本浩子さんのお二人で「平和のつどい2015夏 戦後70年、守り続ける平和」が開催されました。 会場となった御浜町役場 くろしおホールには、200名近い人が集まり、中田重顕さんの話しと、阪本浩子さんの朗読に聞き入りました。 講演では、先の大戦がどうように進められて来たのかを明治維新以来の近代日本の背景から始まり、講演会場となった御浜町での日清戦争、日露戦争でどれくらいの人が亡くなっているか、また明治10年の阿田和沖での軍艦雲揚遭難で阿田和の人に多くの命が助けられた事による縁から、御浜町阿田和で生まれた堀 悌吉中将とのつながり等、この地に暮すものとして貴重な資料を公開しながら講演がおこなわれました。 この地域に残る戦争がもたらした悲しみの連鎖「軍国の母」「軍国の妻」「軍国の遺児」の母、その人たちの手記が朗読されると会場の中には涙を拭く人が多く見られました。 そして神風特別攻撃隊で奇跡的に生還した紀和町出身の方の証言や、戦艦大和に乗り込んだ5人の熊野の若者の中でただ一人生き残った坪井平次さんの証言などが紹介されました。(坪井平次さんは「戦艦大和の最後」という本を残しています。) そして、沖縄での全ての人を巻き込んでの悲惨な話しの中で、この戦地でも熊野市出身者71人、御浜町出身者32人が犠牲となっています。 現在、地元の中学校の修学旅行で沖縄を訪れ、地元から出て行って沖縄で亡くなられた方、その助けをしながら亡くなられた沖縄の多くの人たちに祈りを捧げ、そして手紙を通じて交流が生まれるまでになっているそうで、中田さんはそれが一番教育的にも道徳的にも嬉しい事と述べました。 最後に中田さんは、今日の話しも含めて、いろんな話しを鵜呑みにしないで、自分で考えて、自分の心に問いかけながら平和を考えてくださいと話しを終えました。
|
|