2015年1月5日(月)午前9時旧荒坂小学校校庭に参加者9名が集合しツアーを実施しました。参加者は全員紀南地域の教員で、紀南教育振興会社会研究会会員の研修と新採教員の研修も兼ねて行われました。 主催者挨拶では「地域おこしの1つとしてやっており、熊野を元気にしたいです。今回は先生方の研修の場なので、ツアーのなかでレベルの高い話し合いもおこなっていきたいです。」と、話ました。案内役の生徒(子ども語り部)も「荒坂中学校が休校になったので、みんなで集まり練習できる環境ではないので、練習不足ですが頑張っていきたいです。」と挨拶し、参加者たちも1人1人自己紹介をし、ツアーは始まりました。 最初訪れた場所は鯨の供養塔で、子ども語り部が「この供養塔は、寛文11年(1671)に建立され、施主木下彦兵衛の名が刻まれています。当時からこの地域では鯨漁が盛んであったことがわかる印でもあります。」と、説明しました。参加者から「当時から熊野と五島列島の鯨油は品質がよく高く売れました。鯨一頭捕獲すると近隣の七浦が潤ったといわれています。」と、話がありました。 その後問題を出し、問1、この鯨供養塔の持ち主はいったいだれでしょう? (1)熊野市 (2)二木島町(区) (3)個人 問2、この物体は何でしょうか? (1)骨 (2)髭(ひげ)(3)歯 また、ペリーが浦賀に来航し開国を迫ったことと鯨漁は関係あることも説明し、この地は鯨の産地であったことを証明することができました。 次に東南海地震津波到達地点の碑の前では、津波が襲ってくる事を予知した森本福太郎さんが、『子どもを逃がせ』と小学校に知らせにきたので、学校に残っていた300人の子どもが助かったことを記念し、ここに碑が建立されたことを学びました。 また、近くにある津波地蔵を覗き込んで見ると、地蔵さんが自然石できていることがわかりました。これは、津波で荒廃した集落になったが、一刻も早く供養を行いたいという村人の願いが込められたような地蔵に見えます。それから160年経った今日、再び惨禍が起こらないよう、地震の備えをするようにという先人たちの警鐘でもあると肝に銘じました。 3番目は旧荒坂小学校創立百年記念碑の前で校歌を斉唱し、在りし日の荒坂小学校や荒坂中学校を懐かしみました。5年前に荒坂小学校は134年の歴史を閉じました。 4番目は二木島港では養殖の事を話ました。二木島出身の教員が「ハマチから鯛の養殖に変わり、今では2〜3軒鯛養殖に従事しているのみです。」と、答えていたのが印象的でした。今日では大手漁業会社によるマグロの養殖が甫母町で行われています。 5番目の唐人塚では、日中草の根運動の原点を見るような光景に出くわしました。中国の人が二木島で亡くなったので当地に埋葬したのですが、それから190年にわたり地元民が香華を絶やさず、雑草を刈り、墓を守り続けてきたことに敬意を表したいと思いました。 6番目は鯨解体工場跡を訪れました。明治時代に近海で鯨が良く捕れ、年間100頭を超える漁獲量がありました。ほとんどがシロナガスクジラで平均25mの鯨でした。子ども語り部がメジャーを使い、シロナガスクジラの実測を行うと、大きさがよく分かり、ツアー客から感嘆の声が漏れました。しかし、大正時代になると鯨が捕れなくなり、企業として成り立たなくなり衰退していきました。 7番目は熊野古道次郎坂太郎坂の巡礼供養碑と猪垣記念碑を巡りました。子ども語り部は「巡礼供養碑に書かれている名前は芳松と言い、17歳で亡くなっています。ちょうど僕たちと同じぐらいの歳です。」と説明しました。これまで行き倒れと思われていましたが、参加者から「この芳松少年は、海が見えるので走って降りようとして踏み外し亡くなったのです。」と、言う話を聞いて、同行者たちは驚いていました。「墓石には大嶋浦という地名も刻まれていますが、関東地方のどこかであると推測しています。」という話も出ていました。 次に、猪垣記念碑ですが、ここの猪垣は見事に残っており、獣を通さないことで稲を守ったと伝えられています。「下の方は最近までミカン畑でした。野猿もこしらえ、ミカンをカートに入れ、下ろしていました。上の方は田圃が広がっていました。」と、参加者が説明してくれました。 このように今回のツアーは、参加者たちもいろんな意見や質問を投げかけ3時間半に及ぶ長丁場なものとなり、参加者だけでなく、子ども語り部たちにも地域の実情が伝えられ、実のある研修会となりました。 最後に、参加者全員から、「熊野市二木島の事を初めて知ることができよかった。」「二木島で生まれ育ったが、自分が知らない二木島を知ることができてよかった。」「歴史的なことを詳しく知ることができた。何度も訪れるともっとよくわかりますよ。自分の住んでいる所を知ることは大事なことです。先人の人たちから脈々と伝えられてきたことを、荒坂中最後の生徒である皆さんが伝えていくことが大事です。」「巻尺まで使って、分かり易く丁寧に語ってくれました。二木島は文化財・歴史の宝庫です。」等とさまざまな意見を頂戴し、今後に生かしていきたいと思いました。二木島湾を一望できる公園で記念写真を撮り、参加者の元へ届けることを約束しツアーは終了しました。 *ZTV東紀州「ほっと!東紀州」で、ツアーのニュースが随時放送されますのでご覧下さい。(1)または(2)のどちらかで放送されます。 (1) 9日(金)午後6時〜11日(日)夕方まで (2)12日(月)午後6時〜14日(日)夕方まで ■主催:過疎からの脱却を目指すグループ (代表:久保玄理)
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