5月4日、過疎からの脱却を目指すグループと歩く、世界遺産登録10周年記念熊野古道と二木島町史跡巡りツアーを実施しました。 当日は天候にも恵まれ午前9時前には旧荒坂小学校校庭に参加者全員が集合し、自己紹介をしました。 参加者は「このツアーを楽しみにしています。ガイドの若い人たちにエネルギーをもらいたいです。」などと挨拶し、早速熊野古道曽根次郎坂太郎坂方面に向け出発しました。 参加者全員で9人。富山県2人、他は三重県内で桑名市4人、熊野市2名、紀北町1名という内訳でした。その他取材のメディア関係者数人と熊野市職員も随行しました。 途中紀勢本線の上にでるとガイド役の高校生が「この紀勢本線は昭和34年に全線開通しました。それまではこの地方は陸の孤島であり大変でした。 今日ではワイドビューも走り便利になりましたが、列車がよく鹿と衝突します。僕も通学途中で出くわしたことがあり、1時間以上とまることもあります。」などと実話を交えて解説していました。 最初巡礼供養碑に行き文政3年(1820)にこの坂で17歳で亡くなった少年の墓を見学し、猪落としのある場所では中をのぞき込みながら獲物を捕る瞬間を想像しました。そして猪垣にたどり着くと寛保元年にできた要塞のような大きな垣が迎えてくれました。 元来た道を戻り、鯨供養塔では鯨の骨を参加者たちにかわるがわる触らせると、参加者たちは歓声をあげていました。津波地蔵ではガイドが「地蔵さんのなかをのぞいて下さい。地蔵は河原に転がっている石でできています。地震の後すぐ供養したかったのでしょうね。 また、津波地蔵のところまで津波が来たという証拠でもあるので、地震のあとの津波被害にあわないために、先人たちが教訓としてこの碑を残してくれたように思います。」と、説明すると参加者たちは頷いていました。 最後に旧荒阪小学校校庭に集まり、休校となってしまった三校の校歌(荒阪小学校・荒阪中学校・遊木小学校)を歌ってツアーを締めくくりました。参加者たちも思わぬ歌のプレゼントに喜んでいました。 富山県からの参加者は「二回目の参加です。遠いところから来たかいがありました。色々なことを一生懸命話してくれるガイドさんは初々しく大変良かったです。熊野古道の一旦に触れた気がします。」 桑名からの参加者は「桑名から初めて熊野に来ました。人とのつながりを大事にしたいです。リピーターになりまた来たいと思っています。熊野古道の一旦に触れた気がします。」 熊野からの参加者は「地元でよく通っているところでも知らないことがたくさんあり、説明してもらってよかったです。学生さんも準備をするのが大変だと思いますが、これからもがんばってください。」と感想を述べていました。 ■主催:過疎からの脱却を目指すグループ(代表:久保玄理)
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