想い出の矢ノ川峠の会が、熊野市・熊野市教育委員会と共催で10月19日(土)19時より熊野市民会館において「拓けゆく熊野シンポジウム」を開催しました。 このほど開通する熊野尾鷲道路にあわせて、東映制作教育映画「道」の上映やトークショーなどで国鉄紀勢線が全通した昭和34年まで旧矢ノ川峠を23年間無事故で走り抜いた「国鉄バス紀南線」をはじめ、人々が現在の熊野市と尾鷲市の間を移動するために切り拓いた安全索道や巡航船、鉄道、国道42号線など当時の人々の苦労を偲び、国土交通省紀勢国道事務所が制作した「拓けゆく熊野路」よりこれまでと今後の熊野路を考えるものとして開催されました。 これは熊野市民会館を満員にした7年前の「矢ノ川峠上映会」に次ぐもので、10月15日(火)から同19日(土)の間、熊野市文化交流センターでパネル展示も開催され、なつかしい風景や国鉄バスの珍しい写真が多数展示されました。 シンポジウムの始めはトークショーで東映制作教育映画「道」撮影秘話が語られました。 映画「道」に出て来る峠の茶屋の家の中のシーンは、実は私の家でおこなわれたものでと語ってくれたのは、熊野市飛鳥町の方。当時は小学生でお風呂のシーンの水汲みをさせられたりと映画の裏方がどうなっているのかを見られたと話していました。 次に、雨のシーンで雨を降らした当時尾鷲市で消防士をしていたお二人。職員8名の内4名と車2台が映画に協力したそうです。映画で雨を降らすシーンは、1月頃でとても寒く流れる水が凍ったそうです。 地元の方で映画に協力した方々のお話は、とても楽しく客席からはあたたかな笑いがおこっていました。 そして今回の目玉だったのが、この映画で峠の茶屋のおじさんの役で出ていた東京で現役の俳優として活躍中の福原秀雄さんがインターネットを使ってライブ中継で登場しました。 現在90歳ですが、さすがは役者さんで滑舌の良い楽しいおしゃべりは会場のみなさんを一気に引き付け、笑いと大きな拍手がおこりました。 福原さんのお話では、映画のことはほとんど覚えていないそうですが、雨のシーンで泥に埋もれてしまったシーンだけ覚えていて、とにかく早く出して欲しかったそうです。 最後に尾鷲の街並や矢の川索道が写ったフィルムが流されました。かなり貴重なシーンが記録されているものでした。 矢の川索道は、昭和3年から昭和11年まで紀伊自動車が営業しており、旅客営業としてロープウェイとしては日本初のものでした。 そして、本日公開された「拓けゆく熊野路」 国土交通省 紀勢国道事務所制作(40分) の記録映画が流れ、今回のシンポジウムは終了しました。 【1】シンポジウムの内容 ■トークショー(1時間) (1)東映制作教育映画「道」撮影秘話…撮影に携わった方のお話 (2)東映制作教育映画「道」に出演した俳優のライブトーク(インターネット中継) (3)安全索道に乗った方のお話 (4)その他 ◇休憩 ■上映会…「拓けゆく熊野路」 国土交通省 紀勢国道事務所制作(40分) ■パネル展 (1)尾鷲市〜熊野市に至る「道」を走り続けた国鉄バスの大型写真を展示 (2)省営バスが尾鷲熊野間の営業を開始する前から、民間で安全索道や路線バス、巡航船などを起業し、道路網を切り拓いていった人々の物語を資料でパネル展示する (3)紀勢線全通関係の写真・資料を展示する。 (4)パネル展の期間中に毎日時間を定めて東映教育映画「道」を上映する。 ◆関連リンク 2006年12月6日「矢の川峠」児童劇映画「道」の上映記事
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インターネットを使ってライブ中継で登場した福原秀雄さん |
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