3月17日(日)午前9時頃から紀和町楊枝にある楊枝薬師堂で彼岸の入りにおこなわれる大祭「楊枝薬師まつり」が今年もおこなわれました。 楊枝薬師は永暦(1,160年)の頃、後白河法皇が頭痛を治されたという伝承から、「頭痛山平癒寺」と号されるようになりました。頭痛をはじめとして目・耳・喉・首など頭部の病にご利益があると言われており、この日も多くの人が訪れ祈祷を受けていました。 境内には、出店も3〜4件出ており今も大勢の人で賑わうことが感じられました。 平成22年9月の大水害の時には、この楊枝薬師堂も天井近い高さまで水に浸かったようですが、流されてしまう難は逃れたようです。 しかし、表には「楊枝薬師、復興のご協力をお願いします」と張り紙がありました。内容は下記の通りです。 ※お参りの皆様にお願い致します。 下に楊枝薬師、復興の趣意と振り込み用紙が入った勧募趣意書がございます。 御協力頂けます御信者様におかれましては楊枝薬師、復興の趣意をご理解頂き宜しくお願い申し上げます。 楊枝薬師住職 宮本厚志 合掌 楊枝薬師復興委員会一同 合掌 とありました。 ◆楊枝薬師にまつわる話 三十三間堂の棟木 後白河法皇が重い頭痛を病まれた折、熊野の柳の木を棟木としてお堂を建立すれば治癒するとの夢告を得て、高さ十余丈(一説によると40m以上あったとも)の柳を京の都へ運び、蓮華王院本堂(通称三十三間堂)を建立したところ無事平癒されたとの伝承が残っています。蓮華王院も楊枝薬師と同じく、"頭痛山平癒寺"の別名があります。 柳のお柳(りゅう) 楊枝の里に、平太郎という男が、妻のお柳と子の緑丸と三人で平和な生活を営んでいました。しかしこのお柳こそ、三十三間堂の棟木として切られようとしている柳の大木の精でしたお柳は自分の命がいくばくもないことを知り、平太郎の寝ている枕元で、「昔、狩りに来た武士の放った鷹が、柳の高い枝に足尾が引っかかって動けず、あまりにも高いので武士は柳を切り倒してしまうよう部下に命じました。 そんな時、あなたは武士の弓を借り、矢で鷹の引っかかっている枝を射落として、柳を切らずにすみました。その柳の精が私で、あなたになんとか恩返しがしたくて、化身してあなたの妻となり緑丸を生んだのです。 このたび、法皇様の病を治すために切られました。私は生きていけません。どうかこれからは緑丸と2人でお過ごしください。」と打ち明けました。 平太郎が夢からさめてみると、お柳の姿は消えていました。 切り倒された柳は、志古の貝吹岩のところまで届くような大木で、人々はその大木に綱をつけて動かそうとしましたが、微動だにしませんでした。 それを見ていた平太郎は、子の緑丸に綱を持たせて柳に向かい「わが妻、緑丸の母・お柳よ。精があるなら動いてくれ。そして法皇様のための寺の棟木となってくれ。」と呼びかけたところ、大木はなんの苦もなく動き出し、京へ運ばれて三十三間堂の棟木となりました。 里の人びとは柳の枝で薬師仏を彫って、切り株の上にお堂を建ててお柳を祀ったとのことです。
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