丸山千枚田があるなど自然豊かな熊野市紀和町においてこの11月17日(土)に第2回「坑道探検in紀州鉱山」が開催されました。 これは昭和の初めから同54年まで銅鉱山として栄えた「紀州鉱山」がある同町にある市立鉱山資料館が主催し今年8月に行われた第1回目に続き第2回目が行われたものです。 今回は、紀州鉱山を開拓した石原産業(株)のグループ会社(株)石原鉱山の代表取締役で紀州事業所長の井手正靖さんを講師に貴重なお話を伺ったあと、さらに井手所長の案内でセメントで固められた坑道トンネル内(隧道)のみならず、さらに横に掘られている坑道(峰ひ)も歩く貴重な体験ができる企画です。 当日は、定員25名を超す応募者があり結果27名の方が参加されその8割方が三重県外からの参加で、第1回参加者のリピータの方もおり、実際の鉱山跡を探検できるとあって関心の高さが伺えました。 まずは鉱山資料館の職員の方から奈良時代にも及び奈良の大仏の建造にも関わったという紀和町での鉱山の歴史をについてレクチャーがあった後、(株)石原鉱山の井手所長よりスライドを使ってのお話しがありました。 所長によると紀州鉱山のなりたちとしては昭和9年に同鉱山を開発した石原産業はもともと東南アジアで鉄鉱石を採掘するために創業した会社で、東南アジアで働く従業員が家族や教育、健康の都合上、日本国内でも働けるようにこの紀州鉱山を開発し、状況に応じて海外と日本をローテーションできるようしたことが背景にあることや、戦後は東南アジアの採掘地から撤退したため引き揚げた従業員の大半が紀州鉱山に配属されピーク時には3千人を越え、福利厚生のため旧紀和町内に会社が経営する映画館が3つもあったことや当時、県内最新鋭の病院があったこと、また近代鉱山の手法を導入し最大420m地下まで立坑を掘り、エレベーターやトロッコ等により運び出したこと、さらに掘り出した鉱石を船積みするべく昭和30年代まで紀和町から現在の御浜町阿田和駅までロープウェイをひきスキーのリフトのような形で運び出したこと、そして日本の鉱山は鉱石の含有率が低く露天掘りの海外の鉱山にコストで勝てず閉山したこと、また閉山後も紀州鉱山においては、鉱山跡から排出される酸性の水に石灰を入れて中和する作業を行っている(その作業を親会社の石原産業より請け負っているのが現在の石原鉱山)ことなど興味深いお話しを伺うことができました。 その後、参加者は瀞流荘に移動し、現在観光トロッコ列車が走っているコンクリートで固められた坑道を歩きさらにその途中にある、安全のために鉄骨で囲いはありますが、掘られた岩盤がむき出しとなっている坑道(峰ひ)を歩くなどおよそ1時間の貴重な体験ができました。 ■第2回坑道探検in紀州鉱山(峰ひ内)
■第2回坑道探検in紀州鉱山(瀞流荘〜峰ひ間)
■坑道探検 in 紀州鉱山 の模様 ※ご覧いただくにはActiveXの導入が必要です。導入できない場合はココをご覧ください。
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今回は掘られた岩盤がむき出しとなっている坑道(峰ひ)を歩くことができました |
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