10月21日(日) に熊野市の世界遺産“花の窟”をメイン会場に同市有馬町内において花の窟 錦の御幡献上行列が開催されました。 秋晴れの中、平安衣装、古代衣装に身を包んだ約100人が、イザナミノミコトの住まいだったとされる「産田神社」から「花の窟」前の特設会場までの1.6kmを歩きました。 この「花の窟 錦の御幡献上行列」とは、江戸時代後期の郷土誌「紀伊続(しょく)風土記」に書かれている、かつて毎年、花の窟の祭りの日に、朝廷から「錦(にしき)の幡」が献上されていたものが、ある年、熊野川の洪水によって流されて以来途絶えてしまい、土地の人がその代わりに縄で編んだ「三流の幡」を飾るようになったと記述を元に、花の窟に「錦の幡」が献上される様子を華やかな平安行列を通じて今に再現しようとしたものです。 参加者は、地元熊野市、御浜町、紀宝町、津市、志摩市、伊勢市、桑名市、遠くは、大阪府、岐阜県、東京都から熊野市入りをして、錦の御幡献上行列に参加しました。 午後1時に、産田神社前で「進発の儀」が始まりました。 定時に、きらびやかな衣装をまとった小学生の参加者が整列し、そのあとを古代衣装や壷衣装の女性が並び、会場前の見学者、報道や多くのアマチャアカメラマンが一斉に撮影をおこない始めました。 「進発の儀」は、最初に「錦の御幡あらための儀式」がおこなわれ、御幡の使い(岡田安司さん)が6人の供を連れ3箱あらためることから始まりました。 続いて「花の姫の儀式」。女官(中村真朱美さん)とお供の方が花の姫(瀬田 萌さん)を手伝い、献上する花を刈り取りました。 最後に、イザナミノミコト(夢輝 のあさん)がイザナミのお供6人と、花の窟を歌った和歌を2首読み上げ、行列がスタートしました。 行列の先頭は、皇学館大学の学生による雅楽の演奏で、生演奏ということもあり、沿道に集まった方の中からは驚きの声もあがっていました。 コースとなった沿道には、多くの人が出迎え美しい衣装に歓声があがっていました。 有馬町内の旧道を通り、1.6kmを歩き、七里御浜海岸に作られた特設ステージへ着き、「御幡献上の儀式」がおこなわれました。 七里御浜海岸にも多くの人が見物に訪れ、シャッターチャンスを狙う多くのアマチュアカメラマンも最前列でカメラを構えていました。 「御幡献上の儀式」では、御幡を御幡の使いが花の窟の守(和田 生さん)に献上し御幡を披露されました。 この御幡は、郷土出身の染物作家 奥田祐斎氏によるもので、天照大御神、月読命、素戔嗚尊の3つの幡を制作いただきました。 潮風にゆれ、秋の斜光に揺らめく御幡の前で、「花の姫の儀式」へと続きました。 かって、この地方の人々は、花の窟にお供えするために野に咲く季節の花を刈り取ったことが想像出来ます。花の姫は脈々と続く人々の想いにはせながら刈り取った花を献花しました。 そしてイザナミノミコトが花の窟にまつわる和歌を読み上げました。 イザナミノミコト役の夢輝 のあさんの美しい声が海へと響き渡り、会場から大きな拍手がおこりました。 次に、地元小学生により豊栄(とよさか)の舞がおこなわれ、会場をやさしい雰囲気に包み込みました。 最後に有馬地域活性化協議会 花の窟錦の御幡献上行列実行委員長の和田生さんが挨拶をし、「御幡献上の儀式」が終わりました。 ▲トップに戻る ■錦の御旗献上行列<熊野市歴史資料館過ぎ付近>【YouTube動画】
▲トップに戻る ■錦の御旗献上行列<花の窟前付近>【YouTube動画】
▲トップに戻る ■イザナギノミコトによる歌の献上【YouTube動画】
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