1月6日(金)、熊野市井戸町大馬にある熊野国総鎮守として名高い大馬神社(奥の院)において大馬神社例祭(弓引き神事)がおこなわれまました。 今年は、昨年9月の台風による水害で入り口にあった鳥居が流され、小さな小川だったところは土石流により大きく削れていました。 昨年の例大祭から始めて訪れた人は、その変わり果てた姿にあらためて台風12号の水害の怖さを知りました。 しかし、禊(みそ)ぎ場から上は、無事で社殿も石畳の道も残されたのは、奇跡かもしれません。 今回の大馬神社例祭は、昨年より30分ほど遅れて始まり、例年午前8時頃におこなわれる禊も今年は午前10時過ぎにおこなわれました。 弓を引く少年2人と、矢をひらう子供2人が禊場で身を清めるのですが、身を切り裂くような冷たい水に辛そうでしたが、回りから「頑張れ〜」の声も飛び、必死にこらえながら終えました。 午前11時頃より神事が始まり、鳥居から参道を歩き社殿へ着き、滞りなくおこなわれて行きました。 神事が終わったお昼頃から、弓引き神事がおこなわれました。 お祓いを受けた弓引きと弓取りは藁を敷き準備された場所で、6回ずつ計12本の矢を放ちます。 的までの距離は約12m、的の大きさは約90cmです。 今年も弓が的に当たると大勢の人から拍手がおこっていました。 ■大馬神社の伝説 桓武朝の御世(737〜806)に、征夷大将軍・坂上田村麻呂が『鬼ヶ城』で討ち取った鬼の首魁 多娥丸(たがまる)の首を地中に埋めて、その上に社を県立し、当時の熊野国総鎮守としたと言われています。 その後、江戸時代に智興和尚という僧がこの話を伝え聞いて参詣しようとしたところ、『花の窟』の辻あたりで大きな葦毛の馬に乗った田村麻呂の御霊が現れて社まで案内しました。田村麻呂が大きな馬に乗っていたことから大馬神社と呼ばれるようになったと言われています。 また、田村麻呂の愛馬が一緒に埋められたことから「大馬」とも、「大魔を封じた社」が転じて「大馬」となったとも言われています。 ◆関連リンク 平成23年 大馬神社例祭 弓引き神事の様子 平成22年 大馬神社例祭 弓引き神事 平成21年 大馬神社例祭 弓引き神事 平成18年 大馬神社例祭 弓引き神事 平成17年 大馬神社例祭 弓引き神事
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