6月29日(日)にくまの体験企画による第9回紀伊半島みる観る探検隊 特別企画「貸し切り巡航船で行く小さな風待湊・須賀利」が行われました。 当初は前週の22日に行う予定でしたが荒天のため一週間延びてこの日に行われました。 ただこの日も朝から雨模様のためか当初は定員48名に対して38名の応募があったのですが、結局13名の参加となりました。 10時半に集合し、尾鷲港のりばから貸切の巡航船に乗り込みます。そしていつものルートではなく途中、引本浦や矢口浦を迂回して須賀利に向かいます。当初は元須賀利まで迂回するルートでしたが、外海にでるため波の影響が大きく急遽、ルートが変更になりました(巡視船からの画像)。 ちょっとうねりがきつかったのですが、船上から引本の町並みや矢口浦を眺めながら、スタッフの植野さん(画像)のガイドを聞いて1時間ぐらいかけて須賀利の乗り場に到着(画像)、「須賀利のおんばん」こと地元、須賀利で案内役をされている世古明美さんに出迎えを受けます。 一行は平成13年まで存続していた旧須賀利小学校(画像)に移動し昼食に世古さん達に用意頂いた握り飯(画像)や海でとれた魚の干物および天草で作ったところてん、自家製のお茶をいただきました。 握り飯は3種類有り魚めしやすし飯のほかにとても珍しかったのが、黒砂糖のご飯の握り飯(画像)で漁師の疲れを癒すのに甘いご飯ということで尾鷲でも須賀利でしか作られていないとのこと。作り方は普通に炊いたご飯に黒砂糖を混ぜるもので余熱でご飯の中に砂糖が浸透するとのこと。食べてみると黒砂糖の程よい甘さがご飯にマッチしてかなりおいしかったです。 昼食が終わった頃、午前中激しかった雨も止みまじめ昔、江戸へ物資を運ぶ廻船の風待湊として賑わった須賀利のまちを探索します(須賀利の全景【画像】)。 須賀利の高台にある普済寺は竹中工務店の祖の竹中和泉が建てたとされ、その本堂(画像)は欄間や戸袋などに精巧な彫刻が多用された華やかなつくりとなっており建てられた当時の須賀利の豊かさを窺うことができます。またここからは須賀利の家並みを一望でき、全ての家が海を望むことが分かります。 普済寺を降りてまち中を歩くと車一台が通るかどうかの路地の左右に民家が連なり漁師町独特の風情を感じ入ることができました。特に末広湯の跡はとても趣のある建物で漁業がより盛んだった時代を感じさせました。 世古さんの話によると昭和40年代の子どもが多かった頃は2月に行われるえびす祭ではこの路地をだんじりが練り大そう賑わったとのことでした。 その後、港に出るとテントの下でイワシなどの頭と尾を処理している光景が見られます(画像)。これはガシ釣りのえさにする魚の処理をしてるもので、そのままは長すぎるので頭と尾を切り落としているとのことでした。 須賀利の湾内では鯛などの養殖が盛んで海を眺めるとあちらこちらに生け簀が見受けられますが、最近では近畿大学によって技術が確立されたマグロの養殖も行われています。須賀利はリアス式の地形のため水深が深く最適とのことで、スーパーで最近見かける熊野灘産の養殖マグロもこのあたりから出荷されているようです。 こうやって4時間程度、須賀利に滞在して最後、巡航船で帰るときにかつて島へ来た先生や余所へ進学する子どもたちを見送るときにした紙テープでの見送りがありました(画像)。 帰りは雨も止み、波も穏やかになったため尾鷲沖合の佐波留島(画像)を経由して尾鷲港に戻りました。 毎年秋に行われる尾鷲ツーデーウォークでは今年は須賀利もコースになるとのことです。また是非、須賀利に来たいと思いました。 ■貸切った巡航船のルート(青色が往路、黄色が復路)
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>>関連リンク
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須賀利のおんばんこと世古好美さんに案内いただきました |
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旧須賀利小学校で世古さんの話を聞きながら昼食をとります |
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