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永昌寺 <
えいしょうじ > |
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紀北町(旧紀伊長島町、旧海山町) > |
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紀伊長島町前山地区の永昌寺は、町内の禅宗寺院には珍しく、仏光寺末寺ではない。同じ曹洞派ながら敦賀永賞寺の末寺で、創建は寛永十七年(1640)と伝えられる由緒ある禅寺である。仏光寺でも、昔からこの寺だけは他の末寺と別格のあつかいをしてきたということである。 同寺には、紀州徳川家始祖南竜公の位牌が安置されていたため、どんな高位の貴人でも境内には徒歩でしか入れなかったと伝えられている。その南竜公の位牌は、火事のために消失したが、天明三年(1783)当時の庄屋井上源助が、役所に願い出て、私費で造り寄贈したものが、その願書の控えとともに現在も同寺に残されている。 また同寺は、南北朝時代から戦国末期にかけて紀北一帯を支配し、赤羽谷開祖とされている豪族奥村家の菩提寺でもある。
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貴重な資料が残されているなかでも、「釈迦涅槃図」「地獄図」「極楽図」の三軸は、幅110センチ、丈190センチの見事な精密彩色画で、仏教美術として価値の高い作品として知られている。
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惜しむらくは作者が不明であることだが、裏面により当山二十二世香林和尚の代、文政八年(1825)に画かれたことは判明している。
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「釈迦涅槃図」には銭籠など、現在の葬儀の原型となった道具類も画かれている。
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特に八大地獄を画いた「地獄図」は凄まじいまでの迫力ある逸品である。
これら三軸は毎年2月15日の涅槃会(釈迦命日)に本堂で公開されている。
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参考文献 |
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紀伊長島町の文化財、紀伊長島町史 |
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その他関連情報 |
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なし |
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