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井の島秋葉権現 <
いのしまあきばごんげん > |
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紀北町(旧紀伊長島町、旧海山町) > |
紀伊長島駅前の秋葉山公園の中腹、ちょうど龍王山地蔵院の裏手に、秋葉山三尺坊大権現の祠(ほこら)がある。 この社は宝暦時代、井の島に在住していた山県吉富という人が、遠州秋葉山(静岡県周智郡犬居村)より神体を奉迎し建立したものであるという。
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山県氏の子孫は、現在大阪に在住され、同家に伝わる古文書には、この秋葉神社にまつわる由緒が詳細に記されている。 それによれば、山県吉富が火事にあい、すんでのところで類焼するというとき、思わず火伏せの神様である秋葉山大権現を念じたところ、その災害をまぬがれた。そこで遠州の犬居村秋葉山より神体を勧請(かんじょう)し、村人と相談の上、地蔵院裏の天上ヶ鼻を切り開き、村の火防の鎮守として祭ったという。
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吉富が没後、一時は神社も荒廃したが、吉富の子孫である山県長喜が、文化十二年、吹上佐右衛門、地蔵院十世住職鉄栄和尚等の助力を得て、地蔵院門徒一同と再建した。 再建時に、山県長喜が地蔵院へ寄進をした短刀一振り、十六善神之画像などは、戦災にも焼かれず地蔵院に現存するという。
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このとき、稲荷大明神や大般若経塚や金比羅大権現社などの小祠を、秋葉神社より山頂に向かって祭った。それらの祠のひとつは、秋葉山公園として整備された散歩道の脇にそれぞれ残されている。
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また熊野灘を望む山腹には、大正元年(1912年)長島町在郷軍人会が、青年団の協力を得て表忠碑を建立した。表忠碑は三浦地区、赤羽地区にも建立され、現存している。
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現在は秋葉権現から奥(上)は、あまり人も通ることが少ないようで、遊具のある山頂付近は少々荒れ気味だ。遊具を使う子どもたちの姿はないが、長島高校の学生が時々トレーニングに駆け上がっていく。親たちはみな、地蔵院の子安地蔵に子の無事を祈るのだろうか。その姿も温かく見守り続けるように、この小さな秋葉権現は、鎮座ましますのである。
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参考文献 |
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紀伊長島町史 |
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その他関連情報 |
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龍王山地蔵院住職 |
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