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鰹節造り <
かつおぶしづくり > |
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紀北町(旧紀伊長島町、旧海山町) > |
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紀伊長島の鰹漁は江戸時代より始められたそうです。 当時は手漕ぎの鰹船でサバル島沖合を流れている黒潮の本流まで漕ぎ出して、一本釣りで鰹を釣っておりました。
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明治11年(1878)捕魚取調書によりますと、漁獲高は1万7638円79銭2厘その内鰹は10万7000尾、7300円と記録されており、鰹漁が当町漁業の主流であったことを物語っております。 水揚げされた鰹の殆どが鰹節に造られその品質は優れていたようで、文政5年(1878)発行された「諸国鰹節番付表」(海の博物館蔵)には西方前頭十三枚目に紀州長島節と載っているのがその何よりの証明です。
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以前はどこの家庭にも鰹節削りの鉋があり鰹節を削っていましたので、鰹節の需要が多く生産は盛んでした。現在当町での本格的な鰹節造りは皆無に近い状況です。 古から鰹節造りをして来た丸重さんは「昔はいろいろの働人は鰹節削りを覚え梅雨時の仕事の無い日に節削りして稼いだもんやったな」「節造りは四月、五月に切り込で、炊いて、火入れして、六月頃に削ったもんや、そやから節造りの最盛期は四月から六月やったな」「亀節はニキロから二・五キロぐらいの鰹で本節にするのは四キロ、五キ口の物やな」「一キロ前後のもんは雑節言うて花かつおやな」「かび付は一番かびから三番かびまで付けて仕上がりは九月か十月頃やったな」と鰹節造りの盛んな頃を懐かしむように話していました。
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参考文献 |
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ふるさとのしおり 紀伊長島四季暦 |
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その他関連情報 |
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なし |
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