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私は「熊野古道」という名前のついた催しには参加しないと心に決めていたのですが、三重県さんに呼ばれてこういう催しに参加するのも8回目になりました。それはひとえに、伊勢路の取組が素晴らしいものだからです。この世界遺産は3県にまたがるものですが、他の2県、少なくとも金峯山寺のある奈良県よりはずっと素晴らしい取組をされていると思います。
その原因は何かというと、三重県には和歌山や奈良と違って、核となる霊場がないということだと思います。世界遺産登録の際に伊勢神宮が断ったという経緯もあるのですが、核になるものがないのなら地域のみんなと一緒に取り組もうじゃないか、取り組むしかないじゃないかという方向性がおのずと出てきたのです。
伊勢路の取組の何が素晴らしいか、まずひとつは「地域密着」ということです。語り部さん、保存会といった人たちの動きが、世界遺産登録に向けて大きな動きになりました。地域が歴史の中で育んできた遺産なのだから、地域における取組が不可欠なのです。先に述べた他の2県と比べた三重県の特徴が、そうせざるを得なかったという結果になるのですが、それが良かったのです。
2点目は、世界遺産条約の文言を見ればわかるのですが、条約は何を書いているかというと、アクションプログラム2の18ページに書いてあるとおり、世界遺産条約とは、「世界の貴重な文化遺産及び自然遺産を人類全体の宝物として損傷、破壊等の脅威から保護し、各地域において関係機関が協力して調査・保全することの大切さをうたっている条約です。」つまり、世界遺産の目的は、観光とも地域活性化とも書いてないのです。保存のための制度であるというのが第一義です。
世界遺産登録されて、奈良と和歌山の2県は外を見る、つまり観光や地域振興に重点を置いたのです。しかし、三重県は地域から取組を始めることで、保存という本来の目的に沿って取組を進めてきたのです。
日本にも世界遺産がいくつもありますが、例えば屋久島を例に出せば、観光や活性化に重点を置いた結果、1000年も生きるはずのヤクスギが、100年くらいでバタバタ倒れるようになってしまった。つまり、保存ではなく観光や地域活性化に重点を置いた結果、世界遺産に認められた宝物が壊れていくのです。宝物が壊れてしまえば、人が来なくなって観光も地域活性化もできなくなります。観光や活性化を前面に出した結果として人が来なくなっていくというのが、日本の世界遺産の現状いなっているのです。三重県の取組はそうではなく、保存がメインまたは重点項目になっていた。地域が培ってきたものこそが宝物です。その保存に重点を置いて取り組んでいくことがこれからも大切だと思います。
3点目は少し話が大きくなりますが、伊勢路の取組は、近代以降に日本が失ってきたものを取り戻すきっかけになり得るのではないかということです。
日本は元々、中央集権に向かない国で、明治に入るまでは各地域に藩があったりして地域でいろんなことをやっていました。明治になって中央集権的な国家の仕組みが作られたけれど、今でも日本人は、自分の人権・自由を最終的に担保してくれるのが国だという意識をほとんど持っていません。元々が地域に根付いていると思っているので、そういう意識を持っていないのです。
そういう、自分たちが帰属できる地域をつくるということは非常に重要ですが、今では田舎にしか地域が残っていません。あるいは、田舎にはまだその地域を残せる可能性があると思います。伊勢路における取組を進める中で、そういう日本人が失ったものを取り戻すようになればいいと思っています。
もう少し別の見方をすると、日本の近代化というのは西洋の近代化と違って、西洋のキリスト教文化の上澄みを持ってきて当てはめたもので、日本人の持っていたものを失ってしまった過程でもあるのです。その結果、最近は「日本」という題のついた書籍が売れるそうで、日本人が「日本探し」をしているのです。その探しているものが、田舎にはまだ残っているのではないかと思うのです。個人が帰属する最小の集団は家族です。家族のあり方は戦後の民法改正で変わってしまいました。民法改正は簡単ではありませんが、地域の中で自分たちが帰属できる地域・集団を作っていくということはできると思いますし、そうすることが大切ではないでしょうか。
この世界遺産は、世界中の数多くの世界遺産の1つなのですが、その中で最も価値のあるものだと言えるかもしれません。一方で、最もわかりにくいものでもあるでしょうが。 |