● 感 想
チェーンソーもない時代の山仕事は、人が人間の力のみで自然と対峙していたもので、その過酷さは想像もつかない部分が多い。けれど、長期間にわたって山小屋暮らしをする昔の山仕事の様子は、この一冊を読めば何となくわかったような気分になる。
紀州弁で書かれた文章を読んでいると、自然と対峙して過酷な労働をしていたというよりも、自然の恵みを受けながら、自然に助けられながら、あるときは自然を楽しみながら働いてきたという印象を受ける。それは、紀州弁が持つ独特のほんわかした雰囲気がそうさせるのかもしれない。ふと思ったことだが、紀州弁が持つその雰囲気は、かつての巡礼者たちにとっても救いとなったのかもしれない。
著者は「はじめに」で、『山、入る人も、ほいから、山のそばで暮らす人も遠くで暮らす人も、みないろんな形で、自然の恵みをいただいて生活しとるんやさかな。』という一文を述べている。この本に書かれたような自然が今の熊野にそのまま残っているとは思わないけれど、せめてそういう認識を持たなくてはいけないと思う。
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