熊野古道
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 熊野古道協働会議 平成19年度総会  2007年7月29日(三重県立熊野古道センター)
※ここに記載する内容は、ページ作成者が会議に出席してメモした内容に基づいているため、実際の発言内容と異なる部分があるかもしれません。文責は「くまどこ」にあります。


1 花尻代表世話人あいさつ
 世界遺産登録から3年が経過しました。16年度から今年度まで、1期及び2期として取り組んできた「熊野古道アクションプログラム」を、この時期に改定するのは意義のあることだと思います。
 最近は、伊勢から東紀州まで、世界遺産に登録されていないところでも熱心な取組が展開されています。そういった人々の意見も取り入れながら、これからの熊野古道の取組を進めていくため、今日は活発な意見交換をよろしくお願いします。

2 坂野東紀州対策局長あいさつ
 熊野古道の保存と活用について、協力いただきありがとうございます。
 先日世界遺産登録された石見銀山も、この熊野古道の取組を参考にしたと聞いています。地域の皆さんと一緒になったこの取組は、いろんなところで評価されているようです。
 東紀州対策局が昨年4月にできて、今年の4月からは活性化協議会が観光まちづくり公社として動き出しました。そういった組織においても、「熊野古道伊勢路の価値に気づき、守り伝える、伊勢路を結ぶ」という観点から取り組んでいますが、決して単なる観光として捉えているのではありません。東京や名古屋でカルチャーセンターを活用して、価値を伝えるとともに、その人たちを実際に東紀州へ呼んで、集客交流につなげようという取組もしています。古道センターがオープンして、当初の年間来訪者は8万人という目標でしたが、それを大きく上回る20万人にも達しそうです。
 伊勢路をつなげるということで、昨年は踏破ウォークを開催しましたが、伊勢路を結ぶ取組として、今年は街中のサイン整備を検討するとともに、踏破手帳やイラストマップを配布する予定です。今日はいろいろ重要な議題があるので、意見交換のほどよろしくお願いします。




3 アクションプログラム取組状況 ・・・ 「熊野古道アクションプログラム」はこちら(三重県サイト)

(1)概要と取組状況
 3つの基本(独自性の確立・総合的な環境保全・内発的な地域振興)と4つの方針(自主的に行動する・多くの仲間と協働する・じっくりと取り組む・あるものを活用する)は当初から変られていないこと、3つの目標(価値に気づく・守り伝える・伊勢路を結ぶ)は、世界遺産に登録された後に明らかになってきた課題として挙げられたもので、第2期へ改定するときに加えられたものである旨が説明されました。
 また、活動事例の紹介として次のような内容が紹介されました。
 熊野学研究会、地域の学校で熊野古道へ遠足に行く、カルチャーセンターで講座を開く、石畳の調査が完了して次は石仏の調査を予定していること、第三銀行による「熊野古道定期」による寄付、森を守るための様々な取組、語り部の高齢化と後継者問題、景観を整えていくための地域の取組 などなど


(2)アクションプログラムの取組事例紹介

(a)日本風景街道「伊勢熊野みち」の取組
  (日本風景街道「伊勢熊野みち」推進協議会副会長 田上至)
1 日本風景街道「伊勢熊野みち」へ寄せる期待
 この地域には、平成18年度まで「もてなしのさとづくり会議」という、官民協働で市町を越えた取組がありました。そのときに、他の市町の人たちと交流ができて、良い顔つなぎになったという印象が残っています。この風景街道の取組で、伊勢から熊野までのいろんな人が交流できるのではないかと楽しみにしています。
2 馬越峠・海山部会の活動
 当時の旅人が、馬越峠へ至る手前の銚子川をどのように渡っていたか興味があって、「銚子の渡し」を何とか再現できないかと考えています。馬越峠はたくさんの人が来るけれど、海山側はほとんど街中を歩かないし、歩く人と地元の人との交流がありません。その対策の1つとしても有効ではないかと思っています。あとで事例紹介がありますが、大台町で「三瀬の渡し」に取り組んでいる上野さんのところへも見学に行って、三瀬の渡しを体験しました。やはり、昔そこにあったとおりの道を通れるのが良いと思います。部会としては予算も何もないが、「やりたいからやる」というマイペースな活動を展開しています。
3 熊野古道伊勢路への想い
 自分はガソリンスタンドに勤めているので、いろんな人と話をする機会があります。地元の人に「熊野古道に興味があるか」と聞いたら、「ない」と言われたことがあります。もっと地元の人に興味を持ってもらいたいと思っています。そこで自分が考えているのは、熊野古道は「西国巡礼の道」ということです。熊野古道という呼び方は最近出てきたものですが、この道は伊勢から熊野へ向かった人たちが西国巡礼へと向かった道でもあります。熊野古道に興味がないと言った人に「西国巡礼の道だ」と教えたら、それなら興味があると言っていました。熊野古道伊勢路の本質を、もっと世間にわかりやすく話せれば良いと思っています。なぜたくさんの人がこの道を歩いたのか、昔の旅人の想いを掘り下げて伝えていければと思います。

(b)サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道を歩く
  (NPO紀北くまの道代表 川端守)
 4月中旬から6月はじめにかけて、全長800km、約40日間にわたる旅をしてきました。
 厳しい気候条件で止めておこうかと思うときもあったが、いろんな人に「行ってくる」とPRしていた手前、止められないということもあって何とかがんばりました。
 生活用具を一式担いで歩くので、荷物は約20kg。それを担いで1日に20kmくらいを歩きます。かなり長く厳しい行程ですが、なぜ歩き続けられたかを考えると、「アルベルゲ」という宿泊所の存在が挙げられます。一泊0〜8ユーロで、ベッド・トイレ・シャワーだけというのがほとんどです。値段が安いためにとても利用しやすく、こういった施設の存在が一番大きいと思います。それから、「アルベルゲ」には食事が付いていないので、「バル」という食事処のような飲み屋のようなところを利用することになるのですが、これも数kmおきに必ずあります。それから、公衆トイレというものがないので、食事や休憩のついでに「バル」でトイレを済ませることになります。トイレのための「バル」という仕組みらしく、小さな村にも必ずありました。
 地図やガイドブックは、日本語版の正式なものがないため、英語版の地図と日本人が書いた旅行記を持ち歩きました。英語、スペイン語の語学力はほとんどありませんが、それでも何とかなるものです。
 感心したのは道標の完璧さで、帆立貝のマークや黄色の矢印がきちんとあって、地図なしでも歩けるくらいでした。
 なぜ歩いたかというと、私の場合、64才になって800kmを歩くことができるだろうかという個人の体力・精神力を試してみたかったというのが一番です。神様の存在をあまり信じてないので、そういう動機で歩いてきました。
 いろんな国からたくさんの人が来て歩いているのを見ました。各々が旅の目的を持って歩いていて、それに対応する施設や仕組みがありました。
 個人的な意見ですが、「長期間にわたって自立して歩く」という旅のスタイルが増えてきているのではないでしょうか。伊勢から本宮までの区間がこれに当てはまるかはわかりませんが、そういう傾向にあるような気がします。

Q1 キリスト教の信者しか歩いていないのではという印象がありますが、実際はどうでしたか。
A1 カトリックの影響の強い国からの人が多いと思いますが、信仰よりも歩くこと自体を目的としている人が多いような気がします。

Q2 アルベルゲのような施設は、日本でも可能でしょうか。また、アルベルゲには商業的に成り立てようという意図が見られましたか。
A2 アルベルゲの形態はいろいろですが、安い金額でも人数が多ければ商売として成り立っていると思います。日本だと、公共施設が良いのか民間の宿が良いのかといった議論があると思いますが、競合してケンカするのではなく、お互いが高め合っていけば良いのではないでしょうか。

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